ようこそ!松山市体育協会に宇津木妙子さんをお迎えしました。
(ソフトボール界の顔、元シドニー、アテネ両五輪でソフトボール女子の日本代表監督)
 
     
  〈ソフトボールとの出会い〉
中学登下校に自転車で片道約1時間、この不便さが出会いのきっかけ!
 
  私の家から中学校は遠いんですよ。
登下校が大変だったから、ソフトボール部のピッチャーをやっていた一級先輩と一緒に帰れればと、安易な気持ちでソフトボールと出会ったんです。(笑)
でも入った途端すごく厳しくなって、先輩風を吹かして、あーだこうだと言ってそれがスタートでした。
当時はつらいなって気持ちが多かった。
でもレギュラーポジションをもらって、試合に出られ、打ちたいとか、勝ちたいとか、結果的に楽しい気持ちになってどんどんソフトボールにのめり込むようになったんですよ。
 
     
  〈ソフトボールに出会わなかったら今〉
夢の変遷 保育園経営〜婦人警官〜ソフトボール指導者
 
  小さい時の夢は沢山ありましたね〜。5年生くらいの時の作文には保育園を作りたいって!
私たちの年代は皆共働きで鍵っ子が多かったでしょ田舎でも。お母さんお父さん帰ってくるまでみんなで遊んでて、「子供達が可愛そうだな〜」と思ってました。それと農繁期になると私たちは学校を休み、仕事 手伝わなきゃいけない。子供を見ながら。
“だから保育園みたいなのがあればな〜”とそんな発想だったと思うんですよね。それを村長さんに頼むとか、村長さんが駄目だったら県の方に頼むとか、そんな作文が書いてあったんですよ。(笑)
それが一番最初小学校の夢、中学校になって婦人警官になりたいとか、やっぱり変わってきましたね。
ソフトボールの指導者になりたいとかは高校の時にあったみたいですね〜。
 
     
  〈止めたくなりませんでした?ソフトボールを続けられたコツ〉
あの時その子がいないと今の自分はないと思いますね!
 
  裏切った仲間、事件が!
 
 
▲聞き入る松山市体育協会石原会長

中学校で県大会に出て、同じ同年代なのにレベルが違うんだと感じたんです。高校進学してインターハイとか国体目指して頑張りたいと言う気持ちになってソフトボール部に又入りました。でも先輩が厳しく、1年の9月位に先輩の説教に耐えられなくて、同級生みんなで「明日から行くのやめようよ!」みたいな感じで、約束したのね。翌日、みんなは行って私だけ学校に行かなかったんですよ。
それから学校に行ったふりして家に帰って来ちゃって、その間たんぼ道を走りながら、マ〜青春ドラマと一緒で、自分一人で出来るんだ〜って感じでしたね。
でもどっかで期待をしてたんです“いつか迎えに来てくれないかな〜”と・・・。そんな思いの中でたんぼ道を走り、近所の神社行ってボールぶつけて一人でキャッチボールをやって、素振りしたりしていました。
丁度1週間くらい経ってから今の校長先生が迎えに来てくれました。「みんな待ってるから」って。
 
     
  1ヶ月草むしり、一番腹が立ったのは 逃げた自分に!
 
 

それから1ヶ月間授業終わって、すぐグランドに出てはグランド整備やって、道具を並べて、みんな集まって練習が始まると、一人で草むしりをするって生活が続きました。そう罰則です。

その時に一番反省したのは、もう逃げることはできないってことでした。
「みんなに迷惑かけたんだから」でもその時になんでみんなは耐えられて自分は耐えられなかったって言う、弱い自分自身に凄く腹が立って・・・・。
後で先生に叱られました「チームっておまえだけじゃないんだぞ!みんながいてチームなんだぞ、みんなが耐えられて何で耐えられなかったのか」ってことを。
「あ〜そうなんだ、チームって自分だけじゃないんだ」それを反省しながら1ヶ月間草むしりをしてました。

 
     
  思いがけない抜擢! 意地悪、そして練習の虫に・・・  
  そして、まさか出られるとは思っていなかった新人戦にレギュラーに選ばれたんです。
そしたら私が休んでいた間レギュラーだった同級生が私が選ばれた結果補欠になったんです。
その後、ま〜、凄く、意地悪されてそれが辛かったですよね〜。
 
試合前の練習風景(日立&ルネサス高崎)
 
でも意地悪されながらも“チームのためでなくその子のため、その子を納得させるために、やっぱり結果を出さなきゃいけない”って気持ちになって、朝一番のバスで行って朝練して、授業終わって、部活動やって、部活動終わってみんな帰った後残って一人で練習する。徹底してましたね〜、本当に練習の虫ですよ!それから今思うとあの時その子がいないと今の自分はないと思いますね。

意地悪した子が「ごめんね」「ありがとう」


高校3年の時先生から「キャップテンやれ」って言われて、私が「何でキャップテンしなきゃいけないんですか」って言ったら、「もうお前は1回負け犬になって、みんなに迷惑かけたんだから」とか「お前なうまいからキャップテンやるんじゃないぞ」って言うんですよ。
一応まあ先生も厳しい方だったから、“叱られ役を買って出るって感じで“、でリーダーになってキャップテン業しながら、国体で準優勝したんです。
その晩祝勝会をした時に、その友達から「ごめんね」って言うのと「ありがとう」って言われたの。その子もいろんな複雑な思いで私にやってきたと思うんですよね。
 
     
  “人に迷惑をかけちゃいけない”ひとつの自分の信念!
 
  それがやっぱり、あとの30何年間やれてきたな〜って。それと同時に自分がユニチカで13年間、高崎の監督になってからもそうですけども、“人に迷惑をかけたらこういうことになるんだ”っていう、 自分の中で、“1年1年、勝負の中で自分がやるって決めたら絶対人に迷惑かけちゃいけないんだ” ってことを、ひとつの自分の信念みたいでやってきましたね。
だからそれからは本当にこつこつ努力しながら頑張ったって言うのが今に至ってるんじゃないかな〜
 
     
  〈若い人たちがスポーツに関心を抱いてもらうためには〉
子供たち以上に指導者はもっと勉強を! 技術よりも環境づくりが一番大切!
 
 

環境づくりだと思う!
凄く思うのは環境づくりだと思います。
私は愛媛県に来て感じるのはこういう環境がわりとあるんですね。

体育協会とか、教育委員会とかが、いろんなイベントをやってくれるおかげで、良い環境が出来上がってるんじゃないでしょうか。勿論国体が先にあるからというのもあるでしょう。
そういう中で、やっぱり指導者も、もっと子供たち以上にいろんな勉強をしながら、子供達のため にどうしてあげたら良いかってことを考えてあげることが大切です。
暗いニュースが多い中で遊ばせることも今大変な時期に、指導することも大変だと思いますが、ある種のボランティアだから。でもそういう中でやっぱり環境を先ずきちっとつくってあげることです。
子供たちは、どこかでみん なぶつかると思うんです よ。苦しくなる時、その時にどうやって自分で自分 をコントロールして頑張れるかは、やっぱり周りの環境だと思います。

 
 
▲「松山スポーツフォーラム2006」(1/15開催)
右から乗松征記氏(済美女子ソフトボール部監督)、宇津木妙子氏、宇津木麗華氏

人と人との関わり方をもっと教えて!

指導者は技術だけでなくソフトボールをやりながら、「先ず自分なんだよ」「そしてチームメイトがいるんだよ」「苦しい時も何しても 自分なんだけどまわりに友達がいるんだよ」「時にはお父さんやお母さんや先生やチームメイトが助けてくれるんだよ」そういう人対人との関わり方を、みんなを取り巻く環境って言うのががあるんだよってことを、もっともっと子供たちに教えてって欲しいと凄く感じますね。
例えば、「ソフトボールは楽しい」「捕って投げてやる」「ボールポッと投げたら相手がいるんだよ」「相手 に良いボールを投げるにはどうやったらよいか」「挨拶もお早うっつうたら、お早うって言ってもらえれば嬉しい」でしょうって。「お早う」って挨拶が返ってこなかったら「もう知らない」んじゃなくて、やっぱりキャッチボールが挨拶と同じように、良いボールばっかり投げられない時は一所懸命捕ってあげるとか、良いボールを落とす子もいる訳だからネ。
そう言う心の触れあい、キャッチボールの触れあいの中で、ソフトボールができれば良いんじゃないでしょうか。地域でも、隣近所でも「お早うっ」「行ってらっしゃい」その挨拶で子供たちが「行ってきま〜す」って言う会話って大事じゃないですか!
挨拶をしないのが当たり前になっている、当たり前のことを当たり前に出来なきゃいけないし、それが当たり前になっちゃいけない。

 
     
  私の時代はすき焼きでは白菜の芯、ラーメンは汁だけしか食べられなかった  
 
 
 
真剣な表情のフォーラム参加者
私たちの時には、食べられないですよ、物がなかったから。
良くユニチカに怒られますけど、昔ユニチカに行った時(昭和47年から)の食事は、ご飯にタクアン3枚、あとみそ汁ですよ!麗華がユニチカに初めて合宿した時に「監督は何であんな所に13年間もいられたの?」って言うんですよ。(笑)今じゃ考えられません。 すき焼きパーティでは芯しか食べられなかったですよ。先輩が来たら「いただきま〜す」って肉は先輩でしょう。私たちは白菜の芯だけ。ラーメンだって先輩の残り汁を飲むとかね、残しちゃいけないってそれが当時だったですから。 そういう中で私たちはこんなに太ってやってたわけですから(笑)、タフだったですよね〜。 今の子は「ほらみんな食べろ食べろ」でしょう。
先輩なんか関係ないですよ(笑)。
 
  今も昔も悩みは同じなんです。  
 
 
   

でも今の子は今の子なりに苦しんでんですよ。それをわかってあげると良いんですよ。
だから良く私たちチームづくりをするにも、新人が入る「みんな洗濯こうやってきたんだよ」「忘れモンしちゃいけないよ」とか言うじゃないですか、その時々ねみんな失敗あるんですよ、うん、みんな一年生は一緒ですよ。今も昔も変わんないですよ。悩みは同じなんです。
私たちの時はもっとこうだったあ〜だったと言うけども、その年代その年代の1年生ってみんな一緒だと思いますよ。

最後は指導者の考え方で

よそのチームがこうやってたらウチもやってあげたいって気持ちはありますけども、 そこまでやって良いのかどうかの判断はやっぱり指導者と思います。ある程度そのチームカラーとか、地域とか、県民性とかいろいろある訳ですから、いろんな考え方やトップリーダーの考え方と思いますね。

 
     
  〈一番好きな褒めコトバ〉
余り褒めないけど、最近「スゴイ」を使います。
 
  余り褒めないけど最近「凄い」ってことばを使いますよね。
ウチの選手も若いチームになって今大変なのに、麗華に対しても、選手に対しても「凄いな〜」って、自分の現役の時とは随分違うし、チームづくりも違ってんのに、「凄いな」ってことばを良く使いますね。
わりと話の中で「凄い」「凄い」を使ってるような気がします。
 
     
  〈松山のスポーツを志す若い人へ励ましのひと言を〉
夢をもって欲しい!
 
  「頑張る力」「逃げない」「夢を持つ」  
松山は伝統があると思います。ソフトボールから言えば、昔今治明徳が強い時は、世に出た選手が沢山い ます。私の先輩もかなり多いですよ。ユニチカの同級生も二人ぐらいいて一緒に汗を流して、苦しい思いもしました。
いろんな形でスポーツを通して基本は一緒だと思います。一つは「頑張る力」、もう一つは今回のフォーラムテーマの「逃げない」ことです。後は「夢を持って欲しい」ですね。
常にいつも夢を持って、夢をただ夢で終わらないように、それを達成する。どんな小っちゃいことでも良いから夢を持って生きて欲しい、これはお願いですよね私の方からの!
「インターハイ優勝に向けて頑張ろうとか」「この子を何とかこういう風に」とか、でもそれがあまりにも願望で押しつけになると子供達が苦しくなるから、やっぱりその子達の能力なりのわかった中で、育てて あげたいって言うのが大事だし、これは地域もそうだと思います。
 
     
 

良いところを見つけてあげることが夢に向かえる

 
 

今度オリンピックのおかげで地域に講演や挨拶に伺った時に「いや〜小さい時はこんな悪だったのがこん なに偉くなったのかね〜って」おばあちゃんなんかに言われると、“そう言う人たちに私は育てられたんだ な“って凄く感謝しています。だから人間ってどこで人生が変わるかもわかんない、良くも悪くもね。

みんなが思ってることは、みんなが認めて欲しいんですよ。どこかで!これは子供も大人も一緒です。
その時にどこか一つでも良いところを見つけてあげて、それをみんなで褒めてあげたり、認めてあげると、 子供たちも夢に向かって羽ばたけるでしょうし、頑張れる力も出来るんじゃないかなって感じがしますね。
それを松山の市民の人たちに期待してますよ!

 
     
     
  (お忙しいところ素敵なお話しをありがとうございました。益々のご活躍をお祈りしております。)